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日本酒味わい事典

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製作の背景

米のワインと称される日本酒には,これまでテイスティング・ワードのような表現は存在しなかった.日本酒の醸造において重視されたのは品質管理のための異臭検知であり,「老香(ひねか)」や「日光臭」といった管理用語が発達した一方で,魅力的な味わいを表現することばはなく,「甘い・辛い・フルーティ」などといった貧弱なことばで表現されているのが現状である.

このように,そもそもの表現手段,駒としての表現語彙がないという状況において,味わいを表現するのは土台無理な話である.しかし裏を返せば,記号表現の確立していない知覚対象に対してどのような支援を行えば表現が可能になるか,という問いをたてることができる.

筆者らは,上記の問題意識をもとに,名詞表現の支援方略として事典形式の支援を試みた.この取り組みは身体知としての味わい言語化支援を目的としているが,内省的言語化による身体知の学習については本稿の本旨ではないため最低限にとどめる.

味わいに限らず,からだを用いた学びを起こすには,新たな変数としてのことばが重要である(諏訪 & 藤井, 2015).ことばの獲得により世界を観る眼,からだが変わり,新しいからだは新しいことばを産むからである.こうしたサイクルの入り口として,我々は事典を通した学びを提案する.

ただしこの際用いるのは,通常の事典や辞書では不十分である.辞書は,ある事柄に普遍的な“意味”を記述したものであり,編集者個人の意味づけはできるだけ排除される.しかし身体知の学びにおいては,他者の意味づけを追体験できることのほうが重要である.いわば辞書よりもエッセイのようなものであることが望ましい.

『日本酒味わい事典』の構成

『日本酒味わい事典』は,味わいことばが見出し語となっている.
本項では図 に挙げた「コク」という見出し語を例に本事典の構成を概説する.

ページのはじめには見出し語が示されている.
そしてその下に定義として,その見出し語がどのような特徴を持つ日本酒に対して用いられるかが示される.

例えば「コク」という見出し語の定義としては

・うまみや甘味が濃く、丸みを帯びてしっかりとしている。
・一口飲んだだけでわかるほどに味わいが濃く、食事の主役としての力を感じる。

という定義が施されている.
ここを読むことで,読者は今後定義に示されたような日本酒に出会った際,「コク」ということばを用いた表現を行うことができる.

この定義は「コク」という一般的な味わいについてのものではなく,日本酒というドメインにおける定義である.
また客観的な定義ではなく,筆者自身の考える「コク」の定義であり,読者自身に再解釈の必要性を求めている点が通常の事典とは異なる編集方針である.
なお見出し語数は64語である.

見出し語に加え,類語や対義語に相当する語を「関連語」として紹介し,見出し語の味わいが感じられる日本酒を「参照酒」として掲載する.身体知の学びに重要と思われる「用例」という項目を備える見出し語もある.

本事典の特徴

本事典は,通常の事典という概念からすると一種変わった特徴を持つ. まず,本事典は日本酒の味わいをまとめた事典ではあるが,日本酒の味わいを全て網羅しているわけではない.そもそも,身体知を主体的に学び,内省的に意味づけ言語化する過程においては,一つコトバが増えれば連想でさらにコトバが増えるため,味わいの表現は原理的に無限である.本事典では日本酒の味わい表現において基本となりうる言葉を読者に提供することで,更に読者が独自のことばを産みだすことを目標としている.本事典の見出し語は単なるきっかけに過ぎない.

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