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ビフテキとトンカツとノイヤールスブレッツェル −世界の祝祭食における記号とメタファ−

2021 ことば工学研究会発表資料
福島宙輝(九州女子大学:発表当時)

目次

1.      はじめに

1.1.      美学における五感の序列

なぜ味覚が美学領域においてほとんど無視されてきたかということについては,「鑑賞に耐えうるほど刺激が長続きしない」「複雑さや構造を持たない」など,いくつかの原因が指摘されている.このように味覚の欠点として挙げられる美学の対象としての資格のなかで,本稿では「抽象性をもたない」あるいは「外部の対象を表象しない」という議論に焦点を当てる.

以下,本項では,抽象性の議論の前段階として,五感が美学においてどのように序列化され,味覚嗅覚が低位に位置づけられてきたかを,コースマイヤの著作(Korsmeyer 2002; 2004; Korsmeyerほか 2009)を要約しつつ紹介したい.

西洋哲学の歴史を通して,視聴覚は特権的な地位を占め,他の三つの感覚に対して優位性を今なお保っている(Howes 1991)[1]

コースマイヤは,味覚が低位に位置づけられた根本となる背景として,哲学上の上位項(精神,理性,抽象性)と下位項(身体,感情,個別性)の二項対立を指摘し,味覚が下位項に同一視されて来たことを指摘する.

視聴覚が「高級」感覚とされる理由は,世界についての情報を集める能力が高いというものである.認識にとっての主要な感覚とされ,「知的」感覚とも呼ばれる.一方,触覚,味覚,嗅覚は,「低級」とされる[2].とくに味覚,嗅覚は生命保護という基本機能以上の高度な知の展開には必要とされていないように思われ,「動物的」「身体的」感覚とされてきた.

この五感の序列をさらに強化するのは,対象との「距離」である.視聴覚のもつ対象との物理的距離は,知覚における物理的接触を回避することを意味し,それが非肉体的で,天上的で,抽象的な,汚れのない感覚であるとの印象を生む.このことから視聴覚は知的感覚として精神と関連付けられ,触覚,味覚,嗅覚は身体と肉体的刺激の領域に置き去りにされる.精神を身体よりも優位に置いてきた権威ある伝統は,五感の位置づけにも影響を与えているのである[3]

食べ物と性の連関は,味覚が純粋に美的な経験として考えられていない理由の一つである.味覚は耽溺へといざなう官能的な身体的快をもたらすので,倫理性が疑わしく,知的で洗練された認識経験のうちには入れられず,動物的な快楽と深く結び付けられ,無視され,避けられてきた.

以上のような背景から,味覚は美学においてその重要性を顧みられることはなく現在に至っている.

1.2.      本稿のねらい

本稿では,味覚は抽象性,象徴性,外部表象性を持たないという言説に対し,コースマイヤも反例として指摘する,「表象物としての食べ物」の事例を収集し,分析する.

本研究では世界各地に見られる祝祭料理に着目する.祝祭料理では,幸運や健康,金運といった目標となる願いに対して,食べ物が象徴的にあてがわれる.本研究では目標をターゲットドメイン,食べ物をソースドメインとして,両者の記号的関係を,とくにメタファ,あるいは類推の観点から分析することを提案してみたい.

2.      祝祭料理の事例収集

現在,祝祭料理の事例を収集し,データベースを作成している.事例収集においては記号的関係を重視し,どの食材(料理)によって何を祈るかという関係を記録する.(Appendixの表を参照.)

本項では,世界の祝祭料理のうち,複合的な象徴的意味を付された料理として,ノイヤールスブレッツェルを紹介したい.

2.1.      ノイヤールスブレッツェル

ドイツの新年祝祭には,「新年の花輪」と呼ばれる特別なパンが焼かれる(図).高度に象徴的な意味を付された料理の一例である.

Figure 1 ノイヤールスブレッツェル

リースに使われている材料や、リースの形には象徴的な意味がある。

1本目の生地の中には、マジパン、アーモンド、ピスタチオ、ブランデーを混ぜたものが入っています。新年が相手にもたらすべき「喜び」と「幸せ」を表しています。

2本目にレーズンを練り込む。健康と強さを表している。第3のストランドは、パン生地にこれ以上加えるものはなく、自然さ、グラウンディング、本質的なものや自分自身についての考察を表しています。

リースの形は1年の成功を意味しています。その年の成功のためには、3つの要素が必要であることが織り込まれています。喜び、幸せ、健康、強さ、そして、自分自身に対する良い感覚、自分のニーズ、自分の限界と可能性を認識し、自分自身に忠実であること。(「Neujahrskranz」 Wikipedia ドイツ版)

3.      食べる動機

本節以降では,記号的に祝祭料理を分析していく手法を検討する.

さて,祝祭料理を「食べる」あるいは「食べない」の動機として,次の4類型が見いだされる.

  1. 善いものを取り入れるために食べる
  2. 悪いものに打ち勝つために食べる
  3. 善いものを取り入れるために食べない
  4. 悪いものを取り入れないために食べない

詳細に検討する前に,AとBを簡単に説明しよう.

3.1.      Eat to Meet / Eat to Beat

この類型のうち,Aは,日本では「トンカツ」に代表される類型である.勝負事や試験などの前に,「勝つ」の音を取って「トンカツ」を食べるという一種の験担ぎである.

この行為の本質は,「食べる」ということによって,食べ物のもつ,あるいは食べ物に記号的に付与された属性を取り入れるということである.英語で称するときにはEat to Meet型としてみたい.

Eat to Meat型が多く見られる代表的な例は,日本では正月の「おせち料理」である.海老(背中が曲がるまでの長寿)や昆布巻(よろこぶとの音の相関)などが一般的である.このような,善いものを取り入れるために食べる,ということは食の記号的行為の最も基本的な位置にある.

次にB,「悪いものに打ち勝つために食べる」という行為を検討してみよう.こちらは英語ではEat to Beatと称してみたい.Eat to Meetと異なり,Eat to Beatでは,食べもので記号的に表象されているのは敵や悪性のものである.

日本では一般的によく知られた例では,勝負事の前に「ビフテキ」を食べるという,これも一種の験担ぎを挙げることができる.この行為を支えるのは,「ビフテキ」に音として含まれる「敵」に打ち勝つために,これを食べるという行為である.

各国の食文化を概観すると,このEat to MeetとEat to Beatを比較した場合には,Eat to Beat型の少なさは顕著である.

4.      取り入れるために食べる Eat to Meet

象徴性をもった記号として解釈することができる.記号としての動機づけによって,いくつかの分類が可能となる.ここで動機づけというのは,

A) 目標の特徴(硬い,多産など)
B) 見た目(形,色,)
C) ダジャレ(pun)

など、ソースドメインとターゲットドメインを結ぶ関係性のことである。

4.1.      あやかる

  • 海老(日本):長寿::海老の形:腰が曲がっている
  • 鶏肉(日本):勝利::鳥の立ち方:手をつかない
  • 空芯菜(インドネシア):生命力::生息環境:どこでも生きられる

4.2.      見た目

4.2.1.       色による象徴

  • 日本の赤飯:祝福::赤:?
  • メキシコのチレス・エン・ノガータ:独立記念日::赤緑白:国旗
  • ブラック・アイド・ピーズ:金運::緑:1ドル札

4.2.2.       形が似ている

形が似ているものを見立てる

形が似ているものを(多くの場合善いものに)見立てて食べるということは,その料理(食材)は日常的に食されているものである.日常的に食されているもののなかから,ターゲット(ハレの日にあたって達成したい目標)にむけての類推的な動機づけ(写像関係)をもつものが,ハレの料理としての資格を得る.以下ではこの類推関係を,

料理(ベース):ターゲット::B属性:T属性

という形式で表す.

  • 餃子(餃子):金運::餃子の形:貨幣の形(fig.1)
  • 海老(日本):長寿::海老の形:老人の背中
  • 湯圓(タンユエン)(中国):満月祝::丸い形:満月の形
  • 桂花芝蔴湯丸(香港:円満::丸い形:
  • そら豆(フランス):健康::豆の形:胎児
  • 春巻(中国):終始一貫::頭から最後まで食べる:一続きのもの
  • ブリヌィ(ロシア):太陽祝::丸い形:太陽の形
  • レンティッキエ(イタリア・ブラジルなど):金運::丸い形:貨幣

Figure 2 中国(清以前)の貨幣,銀両

形が似ているものを作る

形が似ているものを作るというのは,ハレの目的をもって,ハレの日の専用料理として作ることになる.

  • ナシ・トゥンペン:円錐形に盛った米:聖なる山
  • ウェディングケーキ:縦に長い:教会
  • ブッシュ・ド・ノエル
  • joulutorttu(ヨウルトルットゥ)(フィンランド)
  • 亥の子餅:猪::多産
  • 亥の子餅:猪::多産(商売繁盛)

この「形が似ているものを作る」のタイプでは,特別な料理を作ることになるので,味が美味しいこと(あるいは甘いこと)という,味の要求が副次的に伴う.

抽象ターゲットへの形のメタファ

  • 長麺(中国):細長い:長寿
  • ククス(韓国):細長い:長寿
  • カノムチーン(タイのカレーそうめん):細長い:愛情の継続
  • ノイヤールスプレッツェル(ドイツ):穴:見通しが良い
  • ロスカ・デ・レジェス(メキシコ):丸:幸せの継続
  • タイのラープ:透明なすまし汁:円滑な夫婦生活[4]
  • 桂花芝蔴湯丸(香港):丸い形:円満

4.3.      数に意味がある

  • ブドウ(スペイン・ポルトガル):年越しに12粒(12ヶ月を象徴)を食べる
  • 豆・米(日本):年齢の数だけ食べる

4.4.      ダジャレ (pun)型

  • 日本の昆布巻:よろこぶ
  • ラープ:ラオス語で幸運
  • 白菜(中国):百財
  • 年年有魚(中国):魚=余
  • 湯圓(タンユエン)(中国):団円
  • 髪菜(ファッチョイ):發財
  • 蠔豉(ホウシー):好市(経済)
  • 年糕(ニェンガオ):年高(高収入)
  • 餃子(中国):食+交 → 円満

4.5.      故事

故事に基づくものは,類推関係などではない.関係は恣意的であり,「故事に基づく」以外の説明のしようがない.

  • ローストラム(ラム肉):キリスト教聖書においてキリストが「世の罪を取り除く神の小羊」とされていることから
  • 豆(日本):節分に豆を撒いて鬼払いをしたことから
  • ザンポーネ(イタリア):1511年にミランドラのガヴェッロが教皇ユリウス2世の軍勢に包囲された折、保存食として生産されたのがコテキーノとザンポーネのはじまりとされる

4.6.      栄養補給・味に意味がある

食に関する記号のうち,抽象性の低い(身体性の高い)もの,すなわち栄養補給や味の快/不快を一義的な目的とするものもある.

  • セムラ(スウェーデン):断食明けに食べられる伝統的な菓子.甘く,栄養補給を目的とする.
  • ゴジナキ(ジョージア)::幸福:甘味

5.      打ち勝つために食べる Eat to Beatの例

Eat to Beat型については,現段階では類型化できるほどに十分な例が観察されていないため,ビフテキ以外の事例を簡単に紹介する.

5.1.1.       オズネイ・ハマン(ハマンの耳)

オズネイ・ハマン,あるいはハマンタッシェンと呼ばれるこの料理は,イスラエルのプリム祭で食べられる菓子である.プリム祭は旧約聖書のエステル記に由来する祝祭であり,ユダヤ人迫害をたくらむ極悪役人、ハマンを追放したことにちなんでハマンの耳と呼ばれる.名前の由来には諸説あるが、ハマンの耳を象った説[5]や,ハマンの帽子が三角形だった説がある.ハマンの耳を食べることで、ハマンに復讐するという意図である.

Figure 3 ハマンの耳

5.1.2.       クロワッサン

クロワッサンの由来は諸説あるものの,1683年にトルコ軍の包囲を打ち破ったウィーンで、トルコの国旗の三日月になぞらえたパン、クロワッサンを焼き上げたという伝承が(修正,否定されつつも)存在する.

この説が史実かどうかには疑問が残るが,本研究では,Eat to Beat型の動機づけが見られる例としての側面を重視したい.この説に従うならば,クロワッサンは敵を象徴するもの(三日月)を食べることで報復,克服を祝うという,ハマンタッシェンに類似する食行為とみなすことができるだろう.

5.1.3.       歯固めの石

歯固めは,日本で行われる子どもの通過儀礼の一種である.枕草子にも記述が見られる.実際に摂食することはないが,石を噛む真似ごとをしたり,箸で石をつついた後,その箸で子どもの歯にふれるという,摂食の疑似行為が行われる.

ここでは,実際に石を食べるわけではないが,石という「硬い」ものの象徴を克服するための(疑似)食行為としてみなされる.

5.1.4.       プロム

日本の歯固めに類似したものとして,韓国の「プロム」を挙げることができる.韓国では小正月に,硬い殻つきのもの(クルミ,栗,落花生,ナッツなど)を歯で割り,その殻を庭に捨てるという風習がある.プロムは一年の間,腫れ物ができないように,また歯が強くなるようにという願いを込めて行われる.

5.1.5.       豚足そうめん

豚足そうめん(豬腳麵線)は,台湾で誕生日や刑務所からの出所時などに食される厄払いを意図する料理である.[6]

6.      食べない

なにかを「食べる」ことだけではなく,「食べない」ことも,象徴性を伴った食行為のひとつとなる.

多くの宗教に共通して見られる断食や禁忌[7],禅宗における僧食(いわゆる精進料理)などは,食べないという食行為の代表である.

このように,何かを食べること,あるいは何かを食べないことは,個人の主義や思想の表明となり,集団としての行動規範をもたらすとともに,宗教的困難の追体験や,連帯意識の実践となりうる.

ここで,禁忌や断食ではなく,祝祭料理として何かを「食べない」ようにするということを,「食べる」のA,Bに続いてパターン化すると,以下のようになる.

  • 善いものを取り入れるために食べない
  • 悪いものを取り入れないために食べない

このような「食べない」習慣は,禁忌や断食のように明文化されていない事例であり,収集することはなかなかに困難である.じっさい,Dの好例は未だ発見できていない.日本の禅宗では(道元の『典座教訓』によって)粥を食することが奨励されているが,この効能として「楽」「詞清弁」ということが挙げられている(『典座教訓』2章).これはそれぞれ,胃に負担をかけないこと,弁舌が爽やかになることの大意である.こうした考え方は,粥を食べる,すなわち玄米や胃に負担のあるものを「食べない」で摂生することにより,善いものを取り入れることを示している.このような考え方がDに近しいものと思われるが,単一の祝祭料理としての事例は見つけられていない.

Eの例として,たとえば日本では相撲の力士は場所中に牛や豚などの四足の動物の肉を避け,鶏肉を好むという.これは手(前足)をつくことが力士の敗北につながることから生まれた習慣である.

あるいは別の例として,ハンガリーでは新年祝祭などでは鶏肉を食べないとされる.これは豚が「前足でかき集める」仕草が金運を引き寄せることを象徴する一方で,鳥は後ろに砂をかくことから,金運を逃すことを象徴するとして避けられるものである.

7.      まとめと研究展望

7.1.      記号的食行為と抽象性について

食を芸術として扱う際の原因として抽象性を欠くという批判がある.しかし,本稿で見たような事例は,直接的に舌の上の快や,生理的な栄養補給を目標としない,ターゲットとしての「願い」に焦点のあたった料理が多いように思われる.

日本のおせち料理において黒豆や昆布巻を「美味しいから」という身体的快を理由に食べている人はどれだけいるだろうか.イタリアの新年祝祭でレンズ豆を身体的快楽のために貪る人がいるのだろうか.

トンカツやビフテキに至っては,消化の悪さとエネルギー効率を考えると,試合前や試験前にはむしろ避けたほうが良いというのが通説である(JOC ホームページ).

このように,「快」や「栄養補給」という,食の生理レベルでの身体的要求を離れていることを抽象性と捉えることができるのではないだろうか.

7.2.      進行形の観察課題として

松永(松永 2020)は,近年のおせち料理に入ってきたローストビーフが「牛の粘り強さ」の,あるいはキャビアが「子だくさん」の象徴的意味を獲得していくのかについては,注視していく必要があることを主張している.

卑近な例では,2019年以降の新型コロナウイルスの流行で,「コロナビール」の売上はどのように影響を受ける(受けていく)のかは興味深い.「コロナ」を忌避する心理が働けば,売上は大きく減少するかもしれないし,一方でEat to Beatを採用するならば,コロナに勝つためにコロナビールをどんどん飲むべしということになる(もちろん実際には飲食店の営業停止などの影響があるので,本課題を実際の売上で検証するのは困難であるが).

このように,味覚に関する抽象性,象徴性の議論は,食文化といえども現在進行系の観察課題として興味深いものである.

参考文献

Howes, David, 編. 1991. The Varieties of sensory experience: a sourcebook in the anthropology of the senses. Anthropological horizons. Toronto ; Buffalo: University of Toronto Press.

Korsmeyer, Carolyn. 2002. Making Sense of Taste: Food and Philosophy. Ithaca, N.Y.: Cornell Univ. Press.

———. 2004. Gender and aesthetics: an introduction. Understanding feminist philosophy. New York: Routledge.

Korsmeyer, Carolyn, 長野順子, 石田美紀と伊藤政志. 2009. 美学: ジェンダーの視点から. 東京: 三元社.

「Neujahrskranz」. 日付なし. 参照 2021年3月11日. https://de.wikipedia.org/wiki/Neujahrskranz.

松永澄夫. 2020. 食を料理する: 哲学的考察. 東京: 東信堂.


[1] 絶版になっているので,入手困難なときには,まずはHowsのwebページで要約を参照されたい.https://www.david-howes.com/senses/Consert-Variety.htm

[2] ただしコースマイヤは,触覚が視覚を確かめる存在であること,触覚の対象が統語的に配列され,意味を割り振ることができ,点字法などが可能となることから,味覚,嗅覚に比べて視聴覚寄りに置く.

[3] (Korsmeyerほか 2009, p151)

[4] 形ではなく色であるが,参照しやすいようにここにも掲載した

[5] 様々な伝説において悪魔はしばしば三角形の耳で描かれる.ハマンの耳においては,犯罪者の耳を削ぐ刑罰を同時に象徴しているとも考えられる.

[6] 豚足そうめんの厄払いについての説明をしているブログを下記に引用する.
台湾には、「運が悪すぎてブタのフンを踏んでしまった」という言葉があります。野生のブタはいない。ブタは養豚場にしかいない。養豚場に行っていないのに、ブタのフンを踏んでしまった。「ブタのフンを踏んでしまうくらい、運気が谷底まで落ちてしまった。じゃあ、今後は運気が上昇していくだけだ」という願いを込めて、豚足そうめんを食べるそうです。さらに、煮たまごを付けて、運気を好転させる(卵は回転しやすいから)との事。https://www.fun-taiwanzine.com/archives/18088

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