神戸大学 福島宙輝
h.fxyma(@]panda.kobe-u.ac.jp
How Emotions are Made / Lisa Feldman Barrett

古典的情動理論
情動 emotion = 生理反応+行動反応+主観的情動体験
・基本情動(basic emotion)怒り・恐怖・不安など
・高次の社会的感情(social emotion)嫉妬・困惑・罪悪感・恥など
・「古き良き心理学」:刺激→自覚的感情→身体反応
・ダーウィン:「おのおのの情動は独自の一貫した指標を持つ」
刺激→情動→表情(一貫した身体反応)
① ジェイムズの末梢起源論
刺激→身体反応→身体反応の意識化→情動

二要因説、表情フィードバック仮説、ソマティック・マーカー仮説などで再評価されている
☓ 「悲しいから泣く」
◯ 「泣くから悲しくなる」(私泣いてる、あ、悲しいんだ)
「情動の各カテゴリーではなく、各インスタンスが、身体の独自の状態に由来する」(p.267)
「ジェイムズ=ランゲ説」
刺激によって身体反応が惹起され,それが脳に伝達されることで感情体験が生じると主張する説。ジェームズ(James, W. 1884)は,脳に感情の中枢が存在することを否定し,感覚皮質と運動皮質のみから,感情を含むすべての精神活動が生じると考えた。そのために,感情を体験する感覚皮質が知覚するための対象として身体,特に内臓の反応を重視した。同時期にデンマークの生理学者ランゲ(Lange, C. G.)も,同様に感情体験における身体反応の役割を重視する説を提唱したが,彼は血管の拡張や収縮を精妙に支配する交感神経系の働きを感情の源泉と考えた。彼らの考えは2人の名を合わせてジェームズ – ランゲ説とよばれ,感情の末梢起源説(peripheral theory of emotion)ともいう。19世紀に提唱された思弁的な古典的理論だが,現代の感情研究にも影響を与えている。
② 中枢起源論(キャノン・バード説、1920頃)
刺激→視床下部→大脳皮質と末梢器官→情動体験(皮質/怖い)→情動反応(末梢/震え)

情動の主観的体験(図の💡)は、脳にもたらされる身体情報から生じるのではなく、脳における感情的刺激の評価の結果生じる
(身体への神経を切り離しても情動は起こる)
◯ 「悲しいから泣く」
☓ 「泣くから悲しくなる」

③ シャクター・シンガーの二要因説(1964)
刺激 → 身体反応の生理的喚起 & その原因の解釈 → 情動の生起
・抹消起源説と中枢起源説は、「身体の生理的変化が同一なのに、異なる情動の経験」(嬉し涙・悲し涙)を説明できない
・感情は身体反応の知覚(自覚)ではなく、身体反応の原因を説明する「ラベル」をつけること(①の再評価)
構成主義的情動理論
古典的情動理論を否定
「刺激→反応」モデルの否定(p.185)
「線形的(リニア)な因果関係に依拠した物語にはならない」(p.65)
17世紀のデカルトから、19 世紀のウィリアム・ジェイムズに至るまで、哲学者は長らく、心が世界に内在する身体の意味を解釈すると主張してきた。
しかし…最新の神経科学は、いかにこの過程が脳内で生じ、その場で情動を作り出しているのかを明らかにしてくれる。
目覚めているあいだはつねに、脳は、概念として組織化された過去の経験を用いて行動を導き、感覚刺激に意味を付与する。関連する概念が情動概念である場合、脳は情動のインスタンスを生成する
(p.63)
ある身体的反応は、複数の情動を示唆しうる
ある情動は、複数の身体反応によってもたらされる
→写真を見せて情動を答えさせる実験はナンセンス
「構成主義的」の意味合い
構成主義
「人間の経験や行動は、脳や体内の生物学的な過程によってその都度生成される」(p.66)
構成主義的情動理論では、「脳の動力学や情動の生成が、線形的な因果関係に依拠した物語にはならない」
p.65
中心的な考え方
① 怒りや嫌悪などの情動カテゴリーには指標は存在しない
情動カテゴリー:「怒り」や「恐怖」などそれぞれの情動の区分
指標 fingerprint:ある情動の存在を指し示すような身体や脳の反応。例えば、鳥肌は恐怖の指標、恐怖の指標など。
眉間にしわ=怒り というように線形かつ1対1の対応を認めない
② 人間が経験し知覚する情動は、遺伝子によって必然的に決められているわけではない
必然的なのは、「人間は、世界に内在する身体に起源を持つ感覚入力に意味を見出すための、ある種の概念を持つ」ことである(p.67)
情動のカテゴリー(怒り、恐怖、喜び…)は先天的には存在しない
後天的に(言語や文化的な環境の中で)学習した情動概念を、感覚入力にラベリングする
カナダ北部のウトカエスキモーは「怒り」の概念を、また、タヒチ人は「悲しみ」の概念を持たない
p.246
カテゴリが言語によって異なること(例:虹の色)と、
情動のカテゴリが文化によって異なる可能性を同レベルで語っていいのか?
すべての情動を「予測」「構成」しているのか?
・基本情動(basic emotion)怒り・恐怖・不安など
・高次の社会的感情(social emotion)嫉妬・困惑・罪悪感・恥など
「身体の指標のみならず脳の指標も不要」
p.71
「恐れを引き起こすニューロンはどこにあるのか?」など、神経学的な指標の存在を前提とする問いを回避する」
脳は情動を「予測する」
情動による「反応」が特定の脳領域によって引き起こされるのではない
脳は反応的な器官ではなく、予測と訂正を通じて、継続的に世界の心的モデルを生成し更新する
腹部の痛み → 緊張 という線形の関係ではない
腹部の痛み → 胃の痛み、飢え、緊張、きつく締められたベルトなどの無数の原因を意味し、脳は環境に合致するものを経験(記憶)をもとに予測/訂正する
刺激のない、「フラットで真っ白な」状況は無い
脳は刺激が来る前から、内因性脳活動と内因性ネットワークによって組織化されている
p.107
「脳の仕事は刺激と反応」という考えは神話であり、脳の仕事は、予測とエラーの訂正である
p.185
予測は頭蓋の外から届く感覚入力を予期するだけでなく、説明する。…
pp.109-110
脳の予測が完全なら、網膜によって捉えられたリンゴの実際の視覚入力は、予測されていたもの以上の新たな情報を何も運んでいない。この場合、視覚入力は単に予測が正しいことを確認するだけであり、よってこれ以上脳内で伝播される必要はない。視覚皮質のニューロンは、すでにあるべき形で発火しているのだから。
私たちは、絶え間ない予測を通じて、感覚世界によるチェックを受けつつ構築した独自の世界を経験している
p.117
予測と感覚入力の組み合わせによって、さまざまな心的現象を理解することができる(p.117)

おわりに
構成論でどこまで説明できるのか?
・基本情動(basic emotion)怒り・恐怖・不安など
・高次の社会的感情(social emotion)嫉妬・困惑・罪悪感・恥など
基本情動も予測→訂正していたら危機を回避できないようにも思えるが、、
トップダウン過程とボトムアップ過程との関連
(提案) 予測エラーの解決としての鑑賞

予測は、感覚刺激と動きのシミュレーションになる。
p.114
シミュレーションは、外界からの感覚入力と比べられる。
合致すれば、予測は正確であり、シミュレーションは経験になる。
合致しなければ、脳はエラーを解決しなければならない。
(提案) Prediction Based Tasting
まず見る → 予測 → シミュレーション
→ 食べる
→ シミュレーションと口の中の現象を比較する
→ 立ち現れるエラー(シミュレーションとの差異)が鑑賞のポイントになる
(意識的に)予測せずに食べると、「シミュレーションが経験になる」(感覚刺激が経験にならない)
何枚食べても同じポテトチップスの味。シミュレーションをなぞっているだけ
エラー、予測とのズレに着目して鑑賞する
テイスティングの項目があらかじめあるわけではない
あくまでも予測とのズレを楽しむ

アシェットデセールマルヤマの「パティシエの目玉焼き」ような明確なズレでなくてもいい
何も考えてない(シミュレーションしていない)客を感動させるには、「予想のなぞり」を上回るような、衝撃的な、attention に値するような味を提供しないといけない
(=グルメやガストロノミー)
予測とエラーを基軸にすると、日常の食事、ポテトチップス1枚の中にも、鑑賞の契機は現れてくる
利き酒、コーヒーのカッピングも、ベースライン(予想)からはみ出したものを検知する
(項目のあるテイスティングは感覚ではなく短期記憶を参照しているのでは)
