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味わいの多相表象構成モデル 

味覚の認知過程の特性は,記号系の不在と認知能力の不足という二重の制約を抱え,他の感覚を類推的かつトップダウン的に用いるという点にある.こうした制約を含む特性をもつ味覚について,他の感覚領域,言語領域,非言語領域,モノとしての身体,表象された身体,身体の延長としての器,味わっている環境など,あらゆるものごとを含んだモデルを筆者はこれまでに提案した[Fukushima, 2018].

ただしそのモデルでは,対象の科学としての自然科学的計測を表象モデルのうちに組み入れた形式になっておらず,「現象」から「表象」を生成するという過程とは異なる路線に,「対象」としての理解を配したものとなっている.そこで,このモデル図を底におきつつ,さらに明瞭なモデルを提案する.(図 )


表象構成:モデルの流れの概説 

味覚表象構成の出発点は,記号過程の第一次性,すなわち一杯の酒がどのようにして我々の認識に立ち現れるかということである.図中①で示された部分が立ち現れを示している.本モデルにおいては認識はかかわりとして措定されるので,ここではまだ関係づけられた認識は成立していない. 

かかわりとしての認識は,視点(パースペクティブ)(図中②)をおくことによってはじめて生起する.本研究であつかう表象は動的なものであり,ある視点をとることによって,能動的に(一度限りの)対象の像を構成するというはたらきである.その際,主体と客体の間の関係性をとりもつものが様々な相の仲だちである.本研究では,仲だちによる認識の原動力として類推的能力,とくに参照点能力を想定し,参照点としてもちいられる情報群を中間参照枠(③)とした.中間参照枠として用いられる仲だちは,渋って立ち現われた対象(①)に,その仲だちの図化効果のおよぶ限りの新たな形を与え,仲だちされた表象を構成する(④). 

これが一回の,あるいは一杯の酒の表象構成であり,何度も繰り返すたびに仲だちされた表象はその姿を豊かにする.そしてその複相的な表象の,錯綜体としての重ね合わせ(⑤)が,ある人のある銘柄にたいする理解の総体である. 

多相性:有機的なセミ・ラティス構造としての表象 

事態としての表象を考えるとき,事態は視点とのかかわりにおいて生起するものなので,一つのパースペクティブにたつとき(一つの相を中間参照枠として用いるとき),同時に他の相をとおした視点を得ることは困難である.しかしあるアスペクトによる対象把握は常に対象の全体としての理解像(⑤)を更新するため,一杯酒を呑むたびに(一つのアスペクトによる表象構成をするたびに),その酒の総体としての理解も変容するという構成論的な対象把握の様式になる. 

モデル図では各領域は分かれて描かれているが,一度の味わいの経験は多様な表象の総体として(すなわち常に更新される場の状態として)生起する.ごちゃついた全体としての酒の味を受け入れ,流れに身を委ねて酔いを楽しむのも乙なものではあるが,ここでは内省的に,より精緻な表象を構成するはたらきを考えたい. 

モデル図においては各相,各ドメインはおのおの独立に存在しているように見える.しかし実際には各ドメインは整然と並んでいたりはしておらず,たとえば音の相の「次の」相や「一つ上の次元の」相を規定することもできない.あるいは日本酒の酸味の表象にS音(五感の層の音アスペクト)を用いたり,同時にトゲトゲした描画(非言語表象層の描画アスペクト)がアプライされたりする.すなわち表象は層やアスペクトをまたいで短絡的に相互に関係するし,その関係性は個人に依存する.したがってこの関係性はツリー構造ではなくセミ・ラティス構造[Alexander, 1966]をとっているものと考えられる. 

アスペクト間のつながりの様相 

アスペクト間のつながりの様相としては,実際に観測可能な顕在的なつながりのほかに,潜在的なつながりと可能的なつながりとがある.これらの三態が分かちがたく連なり行き来するものであることは言を俟たないが,一応の整理を与えるならば,顕在的なつながりとは「この味は色で言うと黄色」と意識できるつながりであって,ここでは内省的に報告可能,あるいは何かしらの外化を伴って観察可能な外的表象を与えられた状態とさしあたって考えておく. 

顕在的なつながりは,対象の立ち現われののちに生起するもので,このセミ・ラティス的な多層構造においては,酒を呑むという行為,あるいは酒の立ち現われの以前に,先験的に層間の明確なつながりはない.そこにあるのは潜在的なつながりの可能性だけである.つながりは人の味わうという活動の結果として現れる.つまり表象された表象を階層的に分類することはできるが,しかし表象以前の表象の層は潜在的なつながりの可能性をもったセミ・ラティス的な集合体であって,その総体を記述することはできない. 

潜在的なつながりと可能的なつながりの違いは,個人差ということになろう.可能的なつながりは可能性であって,例えばヴィゴツキーは「青」と「進む」という感覚が(かれの中では顕在的に)つながっているが,正直に行って筆者にはその感覚はわからない.したがって「青(色ドメイン)」と「進む(動きドメイン?)」はつながる可能性のある「可能的つながり」ではあるが,筆者にとっては(すくなくとも現在は)潜在的なつながりではない. 

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