袁枚という名前を聞いたことがありますか?
袁枚(えんばい、1716年- 1798年))は、中国清代の文人・詩人。
袁枚は東洋のブリア・サヴァランと呼ばれる
まずブリア・サヴァラン知らないよっていう話かもしれませんが
ブリア・サヴァランは『美味礼讃』という美食書を書いた人
サヴァランはいまでもスイーツやチーズにその名前を残している伝説の美食家。


サヴァランは裕福な家庭に生まれてそのまま弁護士、政治家。
美食家というか、食に関係する偉人としてもうひとり覚えておきたいのは、秋山徳蔵。
秋山徳蔵の名前はピンとこないかもしれませんが、天皇の料理番と言われれば、ああ、あのドラマになった人ね、となるかもしれません。
秋山徳蔵は皇室の料理人として活躍、その経験を書き残してほしいという依頼を受けて執筆した。
サヴァランにしても、秋山徳蔵にしても、どこかロイヤルな香りのするバックグラウンド。
だけど袁枚はちがう
貧しい家計の出身です。
環境に激怒して、発奮して勉学に励んだとされています。
だから「随園食単」の中にも、注意すべき戒めとして、
耳で食うな、目で食うなということが入ってくる。
耳で食うとは、高いもの、有名なもの、名前で食べるということ。
目で食うとは、やたらと品数を揃えること
神童・袁枚
袁枚は貧しい家に生まれたが、父親が読書家であったことは幸いだった。
12歳のときには いわゆる科挙につながる当時の士大夫階級に入るための資格試験で「秀才」としての資格を得て地域の学校に入り、神童扱いを受けた
どうでもいいけどこの秀才はただの呼称じゃなく資格なので特権階級に入るということ
労役免除、知事に合うときには跪拝しなくてよい。
ただし年に二回の試験にパスしないといけない。
こういう特権階級で、徐々に名を馳せていきます。
美貌と美文
袁枚は美貌と美文をもっていたとされます
康煕帝の55年に生まれて、
乾隆帝の時代に役人として活躍します
この二人の皇帝は聞き馴染みがあると思います
まさに清の絶頂期、中国歴代でも最高の皇帝である康煕帝と
文化事業大好きな乾隆帝の豊かな経済力のもとに、今でも故宮博物院に残るような名品をたくさん残している
詩や文学をはじめとして百科事典『四庫全書』の編纂、そして日本でも馴染みのある磁器の生産など様々な文化が花開いた時期です。
そんな時代の文学を支えたひとりが袁枚
袁枚は美貌、つまり見た目も美しかったが
美文を良くするものとしても名高かった
学者としては中国でも当時の試験で2位とか5位とかにランクイン
文を書かせれば博物館クラス。
そして1700年代に早くも女性文学を提唱します。
女性の詩人の弟子も取った
もともと歴史に美貌の持ち主ですから、ワーキャーだったことは想像に難くない。
非常に優秀だたが、若すぎたり嫉妬もあってか、地方の職ばかりしか任されない。
12歳で神童と呼ばれたはずなのに気づけばもう三十もなかば
そしてそして袁枚38歳
満を持して退職
FIRE、早期退職
金陵、南京にある小倉山(しょうそうざん)に庭園付きの邸宅を買ってのんびり暮らします
この邸宅は随園という名前をつけ、まさに悠々自適、読書や執筆、美食の日々を過ごす
この家の名前、随園がタイトル随園食単、随園で記した食べ物の記録、という名前になっているわけです
美文の持ち主ですから弟子も次々に入門してくる、執筆依頼は舞い込んでくる。
女流文学を提唱して女性の弟子を取り、収入には事欠かなかった
袁枚が目指した文学は「性霊説」、性別の性に霊魂の霊で性霊、つまり
人間の素直な気持ちとか欲望を文にして表そうじゃないか、という
お硬い文学じゃつまらんよと、
何ならポルノなかんじも書いちゃおうじゃないかというそういう感じ
女流の弟子の文集は風俗を乱すとして当時は大変に糾弾されたようです
随園食単
そんな袁枚が書いた随園食単、どんな本なんでしょうか
中身はレシピ集のようになっていて、中国大陸各地の美食を記録したものになっている
海産物、川魚、豚肉、獣類(牛肉は獣あつかい)
鳥類、魚類、鱗のない魚、精進料理、
小菜、点心、飯粥、茶と酒
調理技術の理論から調理加工、盛り付け、調理器具に至るまで、当時の国内の多くの地域の美食について克明に論述し、評価した画期的な料理書
こだわり
地方に美味い料理があると聞けば、自宅随園で抱えているの料理人を派遣して
おいちょっとレシピを勉強してこいと留学させる
そしてその調理方法を袁枚が書き連ねる
ただのうまいものリストではない。
インテリですから。
飲食を学問として成立させようとしたわけです。
袁枚は性霊説、自分の素直な気持ちをぶつけていくのが文学だと言ってる。
モヤのようなベールに包まれたおもむきだの哀愁だの?(神韻説)いらんと。
格調高い文章?いらんと。
袁枚にとっての食というのは、文学で人間の気持ちを表明する、その延長線上にあったといえる
精神性、感情を尊重し、自己を称揚し、中の旨を重視するためである。
袁枚にとって、詩と味を論じ、味と詩を治療することは、哲学美学精神においても共通しているわけです。
内なるものを表現していくということ。
菜の出し方を知ること (p.40)
*ここでの「菜」は、菜っぱではなく料理の一品一品のこと。
菜の出し方は、鹹いもの(しょっぱいもの)は先に出し、淡[あま]いもの(マイルドなもの)は後にするのがよい。
濃いものは先にし、薄いものは後にするのがよい。汁のないものは先にし、汁のあるものは後にするのがよい。
それから、天下には元来五味(酸苦甘辛鹹)があるから、塩辛いもの一辺倒になっはいけない。客が食べ飽きると脾臓が苦しむので、辛いもので脾臓を興奮させなければならない。客が酒を多く飲めば胃が疲れる。だから酸っぱいものや甘いもので胃を目覚めさせなければならない。
この部分は、料理を出す順番を言っているが、いま一般に言われているのとは逆の順番だと思う。
例えば寿司は味の淡いものから順番にとよく言われるが、袁枚は逆の順番を考えていたようである。
名言
南京に古い庭園付きの豪邸持って、弟子たくさんで、旅して、豪華な料理を食べる生活。
周りから見たら、なんか、いいですねって言われたんですよ。しらんけど。
いい暮らしですねって。
袁枚、言いました。
人生の味は、詩のようなものです。
世の中が知らない酸味と塩味がある。
言ってみたい。